ペーパードライバー短編集

さんらいと

乱脈な気孔

資格や地位になんて価値はない。真に重要なのは、そんな薄っぺらなラベルの下にある人間そのものだ。

就職活動を初めて一ヶ月。分厚い参考書を投げ出して僕がたどり着いたのは、実にくだらない真実だった。

資格、学歴、活動実績。そんなもので計れるほど人間は単純ではないし、そのせいで大切なものが見えづらくなっている。

結局、人間は中身なのだ。

これが道徳の授業だったら、花丸を頂けそうな素晴らしい答えである。資格や学歴なんてものは不要だ。肩書きにあぐらをかく無能な老害は恥を知った方がいい。

現に郊外のユニクロにある服だって、海外のモデルが着こなせばカッコよく見える。ポスターの中の青い目をした白人は、シンプルなチェックのシャツにカーディガンを羽織りながら、いつだって消費者に向けて笑顔を絶やさない。

超大手企業も恐らく不本意ながら、圧倒的な広告力を行使して、僕の考えを裏付けている。これほど心強いことがあるだろうか?

恐らく賢明な人間ならば、僕の完璧な主張を軽蔑するだろう。しかし、この実にくだらない価値観は、先の見えない自分を騙すのにちょうど良かったのだ。

自分のことをカリスマモデルだと思っている精神異常者が正気に戻ったのは、それから三ヶ月後のことだった。

逆に考えて、資格を持つ人間がそれにそぐわないことは多々あっても、そぐう人間が相応しい資格を持たないことは極めて希だ。当たり前だが、僕自身の言葉が自分にラベルを貼ることを怠る事の理由にはならない。そんな事がわからないほど僕は馬鹿ではないけれど、何故だろう。今思うとただ前に進みたくなかっただけなのかもしれない。

目の前に広がるレールの上は、何よりも退屈に見えるのに、自分で道を切り開くほどに僕自身は、満ち溢れる気力を持ち合わせてはいない。そんな非積極的な感情の中でも時間は止まってはくれなかった。

否が応でも現実と向き合わねばならぬ時期には、いつの間にかメッキの鎧に袖を通すのにも慣れていた。

最終的に僕は大学の近くのある企業に就職した。そして、どこかの誰かと同じように、人並みに喜んで最後の夏休みを堪能した。大学の近くの一人暮らしの小さなアパートのまま、僕は大学を卒業し、会社に入社し、無事研修が終了した。

季節は五月。ここで僕は改めて一年前の自分の言葉の正しさを知ることとなる。

先輩は笑い疲れたような声でゆっくりとため息をつくと、うつむきながら僕の左肩を叩いていた。

卑下する訳では無いが、僕はユーモアセンスのある人間ではない。自分自身もよく笑う訳では無い。だからこそ先輩には、今日というこの日に非常に貴重な体験を出来たことを是非誇って欲しい。

そして、左と右が入れ替わった。

反対のシートに腰をかけると、だんだんと熱は冷めていき、次第に別の汗が額に浮かんできているのがわかった。

資格や地位になんて価値はない。そう言ったのは一年前の自分だ。そして、改めて僕は言う。

「運転免許」というライセンスほど、信用できないものはない。

三年前の付け焼き刃の免許合宿以来にハンドルを握ることになった僕は、先輩の言葉を借りれば「クレイジー」の一言だった。

そもそも四車線の道路なんて、大都会山形にありはしない。猫の額ほどの駐車場だって、明らかに区画整理を間違えたような曲がりくねった細い道だってそうだ。僕に責任がある訳では無い。こんなレベルの男にライセンスを進呈してしまう国の怠慢だ。

しかも、久々の運転で全く視線がおぼつかない。完全に感覚が迷子になっていたし、いざハンドルを握ると恐ろしくて仕方がない。

言い訳ならいくらでも思いつく。しかし、どんな最高のコンディションでも、今の自分が安全運転を行うことは不可能としか言いようがない。無理だ。仮免を持った教習生の方が数段格が上だろう。

具体的な危険ポイントを上げれば数え切れないのだが、スリリングにスリリングが重なり、ランナーズハイみたいな心持ちになっていたのも確かだ。特に急な赤信号でうまく止まれず、横断歩道のど真ん中に停車し、無数の歩行者に車の前後をかき分けて歩かれた時は、生まれてきてごめんなさいと全歩行者に謝罪したかった。

そして、今日僕が学んだのは、人間というものは心地よい危険に晒されると笑顔になってしまうということだ。最後まで僕が先輩に叱られることはなかった。度重なるプチ危険アクションに呆れてしまったのか。それとも運転する様に促した自分にも非があるとでも思ったのだろうか。先輩はただ笑いながら、僕を助手席に乗せて走り出した。まるで何かから開放されたような安心した顔で。

よりによって、自分が唯一履歴書に書いた資格で過去の自分の発言を肯定するはめになるとは……。幸いプライドの欠片も持ち合わせていない僕は、他人事のように目の前の事実に失笑した。

現役時代には公道でパーフェクトに赤信号を無視してしまい、教習所で温厚すぎて「菩薩」と呼ばれた教官を唸らせた実力は、残念ながら衰えてはいなかったようだ。

だが、同時にわかったこともある。通常は僕のようなヤバい人間は道を走っていないという事だ。普通は皆安全運転を心がけているわけで、僕が少し奇行を起こしてしまっても何とかなる。

当たり前だ。公道がそんなクレイジーボーイに溢れていてたまるか。そう考えるようになってから少し運転への怖さがなくなった。

その後は二回、逐一先輩に指示されるような形で運転をした。操作に関しては大分勘を取り戻せたようだが、如何せんただのあやつり人形には判断力というものがない。ただ指示を待っているだけでは、車線変更や右折時の判断などの諸々のタイミングがしっかりできるようになっているのかわからない。

そして、いよいよ僕にも独り立ちが通告される日が来た。何度乗っても自信はつかない。いつだって時は待ってくれない。

運転の練習をしなければ……。そう思い立つのは遅すぎるけれど、動き出すのは早かった。

連休の最終日、天気は透き通るほどに晴れていた。照りつける日差しはもう夏なのかと思わせるほどに容赦がない。額の汗をシャツの袖で拭きながら、雨よりは幾分マシかと自分を納得させた。

見慣れた道を一歩一歩踏みしめながら、僕はスマートフォンで時間を確認する。予約していた時間は一三時三◯分。丁度良い時間に目的地に着きそうだ。

簡潔に言うと、僕は一人で旅に出ることにした。もちろん車で。

感情は不安と好奇心のフィフティーフィフティーだった。小さなミスならどうにかなるだろというように楽観的でもあったし、そしてそれ以上に、一人で車で旅に出るというイベントに謎の気分の高まりがあった。

別に憧れがあったわけではない。だが、いざ自分がその立場に立ってみると、「車で旅行」という響きは今までの僕のくだらない人生にはない魅力的な言葉に思えた。

あと僕に足りていないのは判断力と自信だけだ。それを培いつつ、連休の最終日を有意義に締めくくれる楽しげな何かを僕は求めていたんだろう。

もちろん他に人が乗っていては練習にならない。だから独りで実行する。なんだか「独り」という響きもカッコイイ。崇高な趣味のような香りがする。

しかし、特に目的がある訳では無い。目的にたどり着くまでが目的だ。僕は適当にGoogleマップを眺める。なんとなく目についたのは、街から少し離れたところにある温泉だった。

紡郷の湯。僕はホームページの写真と入館料などを見定める。これくらい駐車場が広ければ駐車の練習も出来るかも。そんな理由で無事目的地は決定した。

全く知らない街の全く知らない道を、僕は一人で運転するのだ。目的地が決まると、更にワクワクとした気持ちになってきた。我ながら単純かと思うが、これくらい気楽に楽しめた方が人生きっと楽に違いない。

レンタカーを借りる店までは大体歩いて十五分くらいかかった。普段から自転車で通る道だけど、レンタカー屋なんて今まで見向きもしなかった。今までにない視点が加わることで、よく知ってる道ですら未知の新しさが見えてくる。そんな小さな気づきですら、少し新鮮で、少し楽しい。

目的地の看板が遠くに見えてきた。そして、近づくと見覚えのあるマークが入っているのに気づく。それは、街の人間なら知らない者はいない菊の花模様。この街を牛耳るキクチグループの、僕の勤務する企業の傘下にいることを示す印だった。

こんな事業にまで手を出していたのか。

僕は少し呆れ気味に呟いた。

さっき飲み物を買うのに立ち寄ったスーパーマーケットだって、向かいにあるホームストアだって、駅前の飲食店から服や住居のトラブルまで、街や周辺地域の衣食住に手広く密着しているのが我が企業だ。

むしろこの街の住民の半分位はグループ関係者なのではないかと思うほどに、様々なものを吸収し、他の追随を許さない勢いで成長を続けている。

もしかしたら社割みたいなものが使えるのかもしれないが、こんなことをやっている事が会社にバレるのは恥ずかしかったので調べなかった。