エイティーン

さんらいと

まるで海の底に沈んでいるようだ。

僕はこの場所に来る度にそう思う。

生命の光は暗闇に飲み込まれ、規則的に連なった四角形の塊は、時が止まったかのように静寂を監視する。

この海には生き物は住んでいない。時折聞こえる波の音は、嫌というほど聞き飽きた。

大海原を見渡せるこの場所は、息継ぎをするのには丁度良かった。

僕は今日も海を見つめる。あの日からもう随分と時が経ったのだ。

そして、その女はいつものように現れた。風に靡いた美しい髪も、存在感のあり過ぎる豊満な胸も、それは既に僕の日常になっていた。僕は 肩にもたれ掛かる彼女に振り返ることはなく、ただ目の前の景色をだけ見つめていた。

彼女は相変わらず無愛想に言う。

しかし、君に指摘されたくはないな。たとえそれが残念ながら真実であって、僕も彼女も、人間より生きすぎていたとしても。

そして、彼女はまた問いかける。

それは皮肉のつもりなのか? この世がいくら歪んでいても、僕達ははぐれ者だ。生きようとする者の生きる場所は存在しない。

僕は彼女の目の前に立った。

僕達の日常は刻刻と終わりへと向かっていく。

吹きつける潮風など気にならないくらいにずっと、僕は自分と向き合った。空に浮かぶ雲は、まるで水で溶かした彩絵の具を落とした時のように、果てしなく青い空の下でゆっくりと広がっていた。

薄暗い雰囲気を基調とした館内は、消えるものにだけ妙に敏感なように感じる。

数分前までいた人々の熱気は、天井の高いロビーに拡散して消えていく。まるで煙草の煙のように、人の温もりというものは儚く消えて見えなくなってしまう。エアコンのきいたこの建物は、今日も人の熱によって冷まされ続けていた。 

僕はいつものようにくだらない事を頭に浮かべながら、目の前に映し出された小さな電子モニターの時計を眺める。

何だか時間の進みが遅い気がする。

週の真ん中水曜日。サボりたいのはわかるけども、しっかり働いてほしいものだね、時計くん。彼らの仕事に対する姿勢というものは、どうしてこんなにも悪いのか。競争相手のいないという業界全体の甘えた空気が生んだ産物だ。こんなことでは、我々の労働時間がまた悪戯に延ばされてしまう。

僕は空中に浮かんだモニターを中指でタッチし、映された時計の映像を閉じる。そして、無数の数字が羅列された画面を開いた。澄んだ緑色をした画面に映された数列は、一時間前に迎えた頂点から緩やかに下降しつつあった。

予想通り、大きなズレはない。

時計なんかより僕の計算の方がよっぽど正確だ。寧ろ私が時を管理してやろうかとさえ思える。さながら少年漫画のラスボスのように、僕は静かに暮らしたいタイプ。日本政府は早急に僕の脳天に標準時の経線を通すべきである。

僕は指にはめられた端末のスイッチを押し、モニターの映像を消す。

時計は十五時半を示していた。帰社予定は十七時となっているので、まだ一時間半も時間が残っている。これは許しがたい事実だ。僕がこれほどまで真面目に業務を全うしているというのに、時間の進みが遅いせいで無駄に多く働かなければいけない。

故に、「時間を潰す」という行為は全く正当であると言えよう。時間を調整して、時計の怠慢を大目に見る寛大な心。我ながら感服する。

大人になるとはどういうことなのか。今ような行動も、僕の出した「大人になる」ということに対しての答えの一つだ。

僕はいつものように施設の受付に挨拶を済ますと、いつものように旧式の自動ドアから表に出た。

埼玉県北部。さびれた街の空は、今日も不気味なほどに透き通っている。淡い色の夕焼けに照らされた僕の影は、そんな情景などお構いなしに目の前の社用車へと向かっていく。

式への参加者たちは、既に次の目的地へ向かったようだ。どうせ、今頃宴会でも始めているのだろう。僕が生まれる前からずっと、「別れ」は悲しむべきものではなくなっていた。今日見た喪主の非凡な顔も酒と煙草がとても似合いそうだった。

嵐田葬儀場は、我が社の大切なクライアントだ。

霊だとか、魂だとか、ありきたりなフィクションを描ける時代は終わった。我々人類は、明かせないものなどないほどに進化し、無粋な技術を発明せざるを得ないほどに退化していた。

今からちょうど五十年前、学術的に「魂」に重さがあることが証明された。そして、その熱量や魂は人やモノが「終わる」時、エネルギーとして拡散される。それは「霊気」と呼ばれた。

それは電気や石油などと同様に、我々の生活を支える、大きな柱のひとつになっていた。

追加して説明すると、霊気の放出は「死」だけが生み出すのではない。タイミングとなるのは、ただ「終わる」ことだけだ。

例えば、人の情熱の消失は、その人間から魂の一部が消えることに等しい。好きなバンドが解散した。三年間の練習の末、試合で敗退した。それまで情熱を向けられていた対象の消失は、その人間から熱量という名の魂が抜けることと同意なのだ。故に、生き物以外の終わりにも、付随して他人の霊気の昇華がある。

葬式というのは死んだ本人の魂を供養するものというよりは、残された者たちの死者に対する感情や気持ちを昇華させるものであると言った方がいいだろう。

ざっくり言うと、僕の仕事は「魂集め」だ。

昇華していく霊気を回収し、再び使えるように供給する。

それが我が社、「エナシス」の主力事業。四十年前の創業から、我が社の存在は瞬く間に全国へ広まった。以前、エネルギー不足に嘆いていた小さな島国にとっては、完全にクリーンなエネルギーがリスクなく生み出せることは、まるで夢のような技術であったのだろう。

僕の所属しているのは小さな管理部署。その中でも魂を回収するスポットの設置や管理が専門だ。埼玉県北部地区の小さな営業所が僕のホームであり、生きる場所だった。

今日は地元で有名だった政治家の葬式だった。大きな霊気が動くイベントには、設置された装置の安全などを監視する必要がでてくる。よって、お手数かけられて葬儀場に参上した訳だ。

かれこれこの仕事を始めて二年目に突入したが、スポットに異常が出るほどに他人から愛された人間なんて、こんな田舎にはいやしない。せいぜい今日も通常の一・五倍程度のエネルギー量くらいだ。

式場の中に漂うお香の香りが気にならなくなったのと同じく、他人の死をここまで客観的に見るようになってしまったのもきっと職業病だろう。僕の仕事は、人間の魂を浄化させる聖職者みたいなものでない。死体を喰らうハイエナの如く、ただ他人の「終わり」を待つだけである。

閑散とした道路を走らせること約十分。なじみの赤い看板のファーストフード店に到着した。黄色くあしらわれたアルファベットの塗装は、寂し気に日に焼けて白く変色している。

店内に常に笑顔を絶やさぬマダムたちの会合の声が響く中、僕はSサイズのコーヒーを持って窓際の席につく。

フィクションの世界でのこういった店は、若々しい中高生たちの溜まり場と化しているのが一般的なはずだ。しかし、この店にいるのは、煙草をふかしながら談笑する年老いたレディたちばかり。事実、これが過疎地域のファーストフード店の現状だ。

かつては彼女たちも、一端に恥じらいを感じるような乙女だったのだろうか。ゲラゲラと笑う旧乙女たちの声。酒でも振る舞えば、今よりも活気が出るかもしれない。まるでRPGの酒場のように、人間とも思えないような姿をしたアバターたちが、あーだこーだ語り合っている。差異はあれども、どちらも廃人であることに違いはない。

しかし、あいにく僕は酒も煙草も興味がない。アルコールを置くくらいなら、クルーの若返りとコスチュームの変更を要求したい。もっとこう上半身は攻撃力高めで、下半身は防御力高めな服装でお願いしたい。店員も二十代前半を希望だ。子育ての合間に働くようなウーマンの方はご遠慮だ。僕は酒なんて飲まなくとも、可愛い店員さんが作ったチーズバーガーだけでハイになれる。 

僕は人差し指にはめられた指輪状の端末のスイッチをつける。目の前には再び映像が映し出される。

RNG。この端末はそう呼ばれている。

「ラビット社」という世界的大企業からリリースされている電子端末で、インターネットを通して、他人との連絡や情報の収集、金銭のやり取り等を行うことができる。日本での普及率はほぼ百%だ。昔の携帯電話という端末から進化したもので、空中に映し出せる電子モニターの開発から軽量化が進み、今の形になったのだという。

僕は画面を操作し、手帳のページを開く。今日は七月一七日。

あと一週間で例のプロジェクトがいよいよ始まってしまう。

僕は大きくため息をついた。

既に腹なんてくくっている。寧ろくくりまくっている。そもそもこの会社に入る時——、初めて社会人になった時からそうだった。