やさしい爆弾のつくり方

愛宕恵

ある日、爆弾が落ちてきて、世界は唐突に終わりを迎える。

そんな妄想に想いを馳せたのは、一度や二度ではない。

明日提出の宿題を諦め、目ばかりが冴えて、なかなか寝付けない深夜二時。

こんな時は、何も考えずにインターネットの海に身を沈めて、眠りがやってくるのを待つに限る。

今日の議題は「爆弾のつくり方」について。

検索エンジンは、ご丁寧に「やさしい原子爆弾のつくり方」というページを導きだしてくれる。僕の周りの世界くらいはあっさり終わらせてくれそうだ。まあ、これはただのジョーク記事だったのだけど。

誰でもお手軽に作れる、圧縮鍋爆弾なんていうのもあるらしい。豚の角煮じゃないんだから。

検索ワードを少しずつ変えて、ネットの海を三十分ほど漂っていると、ほどなくして眠気の波が静かに押し寄せてくる。このチャンスを逃してはいけない。スマートフォンを枕元に投げて、瞼を閉じる。

海の向こうでは、火災報知器や時計、ランタンなんかの日用品から、少しずつ放射性物質を採取して、本当に原子炉を自作してしまった男もいるそうだ。彼は志半ばで警察に見つかってしまい、世間の目に心を、放射性物質に身体を蝕まれて、四十歳手前で命を落としてしまった。

僕は、自ら手を下さなければ気が済まないほど憎い誰かがいた訳ではないし、今すぐこの場所を消し飛ばさなくてはならない切実さに駆られている訳でもない。なにより、死ぬのも痛いのも死ぬほど嫌だった。

ただぼんやりと、世界が一変する何かが起こってくれないかなと、待ち望んでいるだけなのだ。

だけど、空から美少女が降ってくるとか、正義のヒーローが現れるとか、未来の世界の猫型ロボットが居候してくるとか、宇宙人、未来人、超能力者と部活をやるとか、そういうイメージはどうしても浮かんでこなかった。

だってそれは、いつだって物語の主人公にだけ与えられる特権だ。

僕にはそういうことは起こりえないと悟ったのはいつからなのか、もう覚えてもいない。

だから平等に、均等に、公平に、世界に理不尽が降り注いで、いろんなことを白紙に戻してほしい。

願望と呼ぶにもおこがましいような、都合のいい妄想で、だからこそ、僕自身が実行に移す気なんて、もちろんさらさらなかった。

もしかすると、この検索結果をたどった多くの人が、僕と似たような理由で心の中に爆弾を抱えながら、日々を生きているのかもしれない。

いい加減寝ないと、明日の授業に響いてしまう。

低い天井、狭い部屋、身長に合ってないベッド。

薄い布団にくるまって、意識が落ちるのを待った。

都会だなんて、とても言えないけど、住所的には東京都から始まる、多摩郊外のとある街。

僕は人生の大半を、この街の市営団地で過ごしてきた。

リコーダーのような形をした、背の高い給水塔。自動販売機だけが息をしているシャッター通り。車道に面した幼稚園は長らく人の手が加わっておらず、レールを通過する電車の音が遠くからよく響く。

昔は、ある程度の生活基盤がこの団地の中だけで完結していたようで、今もその名残を見ることは出来るけど、今は歩いてすぐのところに、スーパーマーケットもコンビニも飲食店も保育園もなんでもある。僕が物心ついたころには、おばあちゃんが半ば趣味でやっているタバコ屋が細々と営業しているくらいで、そのお店も、陳列されている商品のラインナップが年単位で変わっていない。

二車線の車道を隔てて、東側に新しい棟が、西側に古い棟がグラデーションのように広がっている。

我が家があるのは西側の棟で、クリーム色の外壁は色あせ、ところどころに蔦が絡まっている。一段がやたらと急な階段のコンクリートはひび割れていて、踊り場の蛍光灯をいくら換えてもほのかな薄暗さは消えず、錆びた玄関の扉は開ける度に悲鳴を上げるような音が聞こえてくる。

東側の棟は、建物の劣化も少ないだけじゃなく、エレベーターがついており、一つ一つの部屋の間取りや備え付けの家具の新しさも、我が家がある棟とは全然違う。ただその分、家賃は少し高いらしい。

ウチが引っ越さないのも、母子家庭で経済状況がそんなに裕福とはいえない状況があるから。こちらから見ていても、東側の棟はなんだか賑やかで、あたたかい生活のにおいがしている。それがとても羨ましく思えた。

反面、こちらの棟は、生きながらにして、ひっそりと寿命を迎えるのを待っている静謐さがあった。

もう五十年近くも前に作られたものだから、とっくに限界が来ていて、実際に市からも建て替え要請が何度も来ているそうだ。

だけど、住民の中には変化を望まない人たちも少なからずいた。仕方ない。旧棟を構成する大半が、ここにずっと根付いているご老体たちだ。数年後の変化を望むよりも、一時でも慣れ親しんだ居場所を手離すリスクを恐れるのは自然なことだ。

悪い言い方をすると、この建物はその人たちに寿命が来て、いなくなるのを待っている状態だった。

そうしたこの建物を取り巻く、変わりたくても変われない状況や、そのせいで狭苦しい部屋に押し込められ続ける僕の現状。何もかもがどうしようもなくて、嫌いだった。

最寄りの駅から自転車で十分ほどと、字面の上ではアクセスも悪くないのだけど、そうした生活網とアクセスするためには、必ず急勾配の坂道を登らなくてはいけなかった。坂を上った先には一軒家が立ち並ぶ住宅街があって、この団地はまるでアリジゴクのようだなと感じる。

そのアリジゴクの中にもヒエラルキーがあって、その一番下で必死にもがいているのが僕なのだろう。

高校二年生の僕に、何かを変える力はなくて、学校に通ってそこそこに日々をやり過ごし、日々の生活の糧を稼ぐために、駅前のコンビニでバイトをして、学校に行って、バイトをして、学校に行って。その繰り返しのうちに、いろんなものがすり減っていくような感覚。

これからもこの場所で生活を繰り返していく。その先の未来なんて、想像することが出来なかった。

どうしようもない、しょうがない、仕方ない。

遠くない未来に寿命を迎えるこの場所には、そんな諦観が詰まっているような気がした。

だけど、最近は少しだけ、楽しみなことがある。

理由はバカみたいに単純で、気になる人が出来たのだ。

その人との唯一の接点が、この団地だったからだ。

僕が通っている高校は、ここから自転車で二十分ほどのところにある「家から近くて通いやすいから」という理由だけで決めた、何の変哲もない公立高校。

これまでは始業チャイム五分前に校門に滑り込むように、朝はたっぷりと時間を掛けて登校していたけど、僕とは違う学校に通っているその人に会うために、今はすっかり早起きになった。

今日もサッとシャワーを浴びて、前日に買ってきたコンビニのカレーパンをバックに詰め込み、起床後二十分で身支度を済ませる。

夜勤明けで、まだ眠っている母に「いってきます」を告げると、玄関から飛び出し、早足で階段を駆け下りる。

駐輪場にセーラー服の後ろ姿を見つけた。

向こうも足音でこちらに気付いたようで、右手をひらひらと振っている。

「おはよー」

「おはようございます」

「堅苦しいからタメ口でいいって」

「いや、一応先輩だし……」

「高校違うじゃん」

そう困ったように笑う、白井千春先輩は、今年の春休みに僕が住んでいる旧棟に引っ越してきた一つ年上の高校三年生。

この団地に新しい入居者があるとしても、東側の新しい棟ばかり。さっさと建て替えたい事情もあって、僕が住んでいる西側の棟への入居が薦められること自体がほとんどないようだったので、今年の春休みに、千春先輩が引っ越してきた時には驚いた。

新学期を迎えたところ、この辺りでは有名なお嬢様学校の制服をビシッと着こなしていたことには、さらに驚いた。

この団地にはあまりに不釣り合いなように思えるその姿から、きっと想像もつかないような事情があるのだろうというのを勝手に察し、ここに引っ越してきた理由を、僕は未だに知らない。

だけど、これまでジジババが住んでいるだけだったこの場所に現れた、同世代の女の子の存在は、ひときわ特別なものに思えた。

先輩にとっても、ここに住んでいる同年代は僕くらいで、顔をあわせたら一言二言、会話をするようになり、登校のタイミングが重なる時は駅まで並んで自転車を漕ぐようになった。

千春先輩は絶世の美少女という訳ではないかもしれないけど、いつでも明るく、人当たりが良くて、どこか上品で、だけど親しみやすくて。なんでもないことにあははと笑う表情と、渇いた笑い声が魅力的な人だった。

学校での先輩のことは知らないけれど、仮に同じ学校だったとしても、僕とは一生接点がない、別世界の人だったんじゃないかなという気がしている。

「すっかり寒くなってきたねぇ」

「もう十一月ですもんね」

「自転車乗ってると風が痛い」

「そろそろマフラーの季節かもですね」

「ねー」

今日も今日とて、千春先輩と一緒に駅までの時間を共にする。鬱屈とした日常の中で、この十分間がほとんど唯一の幸福なので、学校行事の都合とかで、たまに登校時間が合わないと、その日のテンションがガタ落ちになる。

「そういえば、わたしの高校、もうすぐ学園祭なんだよ」

「お。そうなんですね。こっちは夏休み終わってすぐに終わっちゃいました」

「柳瀬くんのところは何をやったの?」

「えーと、ウチのクラスはメイド喫茶を」

「おお。男子は執事的なやつ?」